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「東京にオリンピックを呼んだ男」とは?

2020年に東京オリンピックが開催されると誰もが思っていた中で、新型コロナウイルスが感染拡大し、延期または中止になろうとしています。2020年誘致の際の滝川クリステルさんがスピーチした「お・も・て・な・し」は記憶に残っているのではないでしょうか。滝川クリステルさんは最後の最後の詰めを遂行した方だと思います。

では、1964年の東京オリンピックの重要人物はどなたでしょうか?

「和田勇(わだいさむ)」さんです。

40年以上も前なので私は全く知りませんでした。オリンピックの誘致は一人の力ではできません。しかし、和田さん無くして1964年のオリンピック誘致無し。と言っても過言ではありません。和田さんの日本を好きにさせる人柄がオリンピックの誘致に繋がっていました。

 

 

和田勇さんとは?

和田さんは日系二世であり、若い頃はサンフランシスコで青果業者として起業していました。しかし、1940年代の戦争で日系のために強制収容されそうになり、居住地を転々とすることを余儀なくされました。日系であるために苦痛を強いられていました。そんな人種差別が大きかった時代にアメリカを始め多くの国に出向き、外交を行いました。和田さんは優れた交渉力を持ち、海外と日本との仲を取り持ちました。

 

もう一人の重要人物「田畑政治

もう一人の重要人物は「田畑政治」です。
和田さんと共にオリンピックを誘致した田畑さんは日本水泳連盟会長です。

和田さん自身は特に水泳に精通していたわけではありません。
ではなぜ田畑さんと接点があったのでしょうか。

それは、和田さんが若い頃、日本水泳選手団のアメリカ遠征の際に自身の邸宅に選手団を快く引き受け、献身的なサポートを行っていたからです。そのアメリカ遠征では、日本水泳選手団は快進撃を見せました。日本の水泳に貢献したことに感銘を受けた田畑さんが和田さんに感謝を伝える為に面会したことでお二人は接点を持ちました。そして田畑さんこそがオリンピックを東京に誘致したいと持ち掛けた人物です。

 

和田勇がオリンピック誘致を担当出来る人のマインド

私が本書を読んで一番印象に残ったことは、和田さんが田畑さんからオリンピック誘致を依頼された時の対応です。和田さん自身も事業家として農業や農場などに携わっていました。しかし、日本の政治やオリンピックにはほとんど関係のない人物です。それでもオリンピックの誘致を任されたのは、田畑さんが和田さんの人柄に惚れていたからだと思います。

田畑さんからオリンピック誘致の外交担当を依頼された時に二つ返事で了承しています。一般的には、もしもその誘いに乗り失敗したときの恐怖からじっくりと考えたくなると思います。和田さんのマインドは、やってみて失敗したら自分の見る目がなかったのだと考えるのです。

 

オリンピック開催後

オリンピックでは多くのメダルを獲得し、日本に元気をあたえました。メダルの獲得数は世界で3位でした。また、なんといっても新幹線が開通したのもオリンピックの効果です。社会基盤、産業基盤を構築し、経済的に飛躍的に進歩したのが1964年のオリンピックです。2020年オリンピックでは日本は何が飛躍的に進歩するのでしょうか。今行っている取り組み全てが将来に繋がると私は信じています。

 

【プチ情報】夏季オリンピックはまだ1度しか開催されていない。

東京への夏季オリンピック誘致は2020年で3回目です。1回目である1940年は戦争が理由で開催されませんでした。2回目が本書で取り上げられている1964年です。

www.joc.or.jp

 

まとめ

「東京にオリンピックを呼んだ男」強制収容所入りを拒絶した日系二世の物語では、東京オリンピック誘致に多大なる貢献をした和田勇さんの半生が綴られています。若いころアメリカで妻・子供と暮らし、日米戦争も経験しています。オリンピック誘致の為に南米やヨーロッパにも飛び、日本との仲を取り持つ人柄と行動力は史上最強・最良のリーダーです。遠征先で帰れなくなっている選手団を何とか日本へ返す為に交渉したことも記されています。和田さんが実践した行動の源には、日本や他人に貢献したいという思いが込められていました。現代には様々な手段があります。自分自身が思いを込められるものを見つけて行動に移していこうを思える1冊です。

 

それでは、また。